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大阪高等裁判所 昭和35年(ネ)814号 判決 1961年6月07日

控訴人 安藤円亮

被控訴人 即真周湛 外一名

主文

被控訴人宗教法人天台宗宗議会に対する資格確認事件の控訴を棄却する。

被控訴人宗教法人天台宗天台座主即真周湛に対する訴を却下する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取り消す。本件を大津地方裁判所に差し戻す。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人等の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、「本件控訴を棄却する。訴訟費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の事実上および法律上の主張ならびに証拠関係は、次に記載するもののほか原判決事実摘示と同一であるから、ここに、その記載を引用する。

一、控訴代理人は、

(一)  被控訴人天台座主即真周湛に対する請求の趣旨を、「被控訴人天台座主即真周湛は、控訴人が宗教法人天台宗の東海教区の宗務所長であることを確認する。訴訟費用は被控訴人の負担とする。」と変更する。

(二)  宗教法人天台宗の宗規によれば、教区を代表する宗務所長の資格要件は、所定の選挙に当選することと、これに対する天台座主の任命行為の二つである。ところで、右天台座主は、天台宗の総本山である宗教法人延暦寺の住職で、かつ、その代表役員であるが、天台宗の宗規上はその代表役員でなく、したがつて、その機関ではないが、前記宗務所長の資格が天台座主によつてのみ確認せられることは右宗規上明かである。

しかるに、天台座主中山玄秀は何等宗規にもとづかないで控訴人の宗務所長の職を解き、その資格を否認し、しかして、右天台座主中山玄秀はその後死亡したので、その地位を承継した後任天台座主である被控訴人即真周湛に対し、控訴人が天台宗東海教区宗務所長であることの確認を求める。

(三)  国の法秩序に従つて規整された部分社会の自治法といえども、その解釈運用に関し争がある場合は、それは法律上の争訟として裁判所の最終的判断にまつべきものであるから、本件には、もとより裁判権が及ぶものである。

と述べた。

二、被控訴代理人は、

(一)  本件は、天台宗の宗制第二二条の「議員と宗務庁又は教区宗務所の職員とは、互いに兼ねることができない。」との規定の解釈をめぐる紛争であつて、宗制上、このような紛争については審理局が審判するものと定められているから、紛争当事者は右審理局の審判があれば、これに従うべきものであり、裁判所は右審判の適否については、それが甚しく不公平で公序良俗に反するものと認められる場合をのぞき、単に形式的な審査しかできず、実質的に審査はできないものと解すべきである。

(二)  天台座主は天台宗派の機関であつて、人格を有しないから、本訴の当事者適格はなく、原審被告は中山玄秀個人と認むべきである。そして、右中山玄秀は死亡したが、後任天台座主である被控訴人即真周湛は、もとより右亡中山玄秀の相続人でないから、本訴訟手続を受け継ぐものではない、

と述べた。

理由

一、まづ、宗教法人天台宗宗議会に対する請求について考察する。

(一)  宗教法人天台宗は、宗制をもつて、地方を二十四教区に分け、また、天台宗宗議会の制度を設け、宗則たる宗会議員選挙法の規定に従い右各教区で選出した者を宗会議員とすることを定めていること、控訴人は岐阜、愛知、静岡の三県を区域とする東海教区に属する天台宗傘下の円光寺の代表役員であるが、昭和三三年一〇月一日施行された東海教区から選出する宗会議員の選挙に立候補したところ、同教区では他に立候補がなかつたものとして、控訴人が無競争で当選者と決定し、同教区選出の宗会議員に確定したこと、天台宗では宗制で審理局を置き、別に宗則たる審理局規定を設けて、各種選挙に関し異議の申立があつたときは、審理局がこれを審判することを規定しているところ、東海教区における前記各選挙に不正の点があるとして、同教区の天台宗傘下の寺院の住職傍島弘覚、森下全哲から右審理局に対し審判の申立がなされ、審理局で審理した結果同年一一月一二日右各選挙を無効とする審判をしたので、控訴人が宗会議員名簿より削除されたことは、いずれも当事者間に争がない。

(二)  およそ、国家内に存する各種の団体といえども、いやしくも、それが独立の団体である以上、団体内の規律を維持し、その存立を確保するために、その目的、組織、運営を定めた自律的規範を定立することができる。そして、右規範を定めることが法律に基く場合には自治法として法規範たるの効力を有することは明かであり、宗教法人における宗規は、宗教法人法第一二条にもとづく規則として右のごとき法規範にあたる。しかしながら、右のごとき団体と構成員間または構成員相互間に右規則にもとづく紛争が起きた場合に、右規則にもとづきその団体の自主的な解決に委ねるべきことを定めている場合にも、もし、右紛争が法律上の争訟であつて、それが解決しない限り、当事者は最終的にはすべて裁判所に出訴して裁判を受けることができることはいうまでもなく、(憲法第七六条第一項、第三二条)、また、裁判所が憲法に特別の定のある場合を除いて一切の法律上の争訟を裁判する権能をもつことは、裁判所法第三条第一項の明定するところである。

したがつて、宗教法人天台宗が前示のとおり、宗則によりその団体内の選挙その他一定の紛争につき自主的な審判機関(審理局)を設け、前記審理局規定(成立に争のない甲第二〇号証の四)第一三条は、「第一一条の決定(第二次審判会の決定)に対しては何人も異議を申立てることができない」と定めているけれども、右規定は、同宗内においては右審判会の決定が最終で、他のいかなる機関にも再審査の権限がないことを定めたものにすぎず、右決定を不服とする当事者が法律上裁判所に対し出訴することを禁ずる効力をもつものとは、到底解することができない。もし、右規定が裁判所への出訴を禁ずる趣旨のものとすれば、これは正しく前記憲法第三二条の規定に違反するからである。

これを要するに、国家内の部分社会が自己のため自律的規範を定立できるということを根拠として、右社会内に生じた紛争に裁判所が全然介入できないとの結論は導きえないところであつて、右紛争が裁判所の裁定に服すべきか否かは、結局それが、前記法律上の争訟にあたるか否かによつて決すべきものといわねばならない。

そして、右の「法律上の争訟」とは、当事者間の具体的な権利義務または法律関係の存否に関する紛争で、法律の適用により最終的に解決できるものをいうと解すべきところ、本件の訴は、控訴人が宗教法人天台宗の宗規に基き施行された前記選挙に違法の点はなく、したがつて右選挙の効力につきなされた審理局の審判が無効であると主張して、被控訴人宗教法人天台宗宗議会に対し、前記宗会議員の地位の確認を求めるものであるから、これが民事上の争訟であることは明かである。

また、本件紛争が、一宗教法人内部の組織、機関に関するものであつても、これを他の一般私法人の場合の同種紛争と別異に取扱う根拠はないから、右争訟が個人的市民的利益に関係がなく、法律上の争訟としての資格を欠くとの見解も採ることができない。

以上考察したところによると、本件争訟が裁判所の判断に服すべきことは当然であるから、本件につき裁判権がないとの原審の見解は失当である。

なお、被控訴人等は、天台宗の機関たる審理局の審判に対して、裁判所は形式的な審理のみなしうるもので、実質的な審理はなしえないと主張するが、かゝる司法審査権を制限するについては、もとより法律の規定を要する(例えば私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律第八〇条)ところであつて、何等法律の規定のない本件の場合、裁判所の審査権の範囲につき制約を受ける限りでないというべきである。

(三)  しかしながら、本訴の被告宗教法人天台宗宗議会なるものは、同宗宗制(成立に争のない甲第二〇号証の一)によれば、宗教法人天台宗における一機関であることが明かであつて、このような法人の機関は、元来私法上の権利能力を有しないから、法律に特別の規定のある場合のほか、裁判上自己の名において訴え、または訴えられる権能を有しないものと解すべきである。そして、右宗議会につき特に右のような訴訟当事者となりうべき法令もしくは宗制上の根拠を見出しえない。宗制第四一条においても、これを明示せず、また、これが宗の機関を当事者として紛争解決をなしうる趣旨と解しても、これは宗制における審理にのみ関するものと解すべきである。(行政庁が、かゝる当事者能力をもつのは、いうまでもなく、行政事件訴訟特例法第三条によるものであつて、右規定は民事事件たる本訴に直ちに適用ないし準用すべきものではない)

したがつて、法人たる宗教法人の一機関たる宗議会を被告とする本訴は当事者能力なき者を相手方とする点で不適法な訴であるから、本訴を却下した原判決はその結論において結局相当に帰し右事件に関する本件控訴は理由がない。

二、次に、被控訴人即真周湛に対する請求について判断する。

(一)  被控訴人即真周湛に対する請求は、控訴人が宗教法人天台宗の岐阜県、愛知県、静岡県を基盤とする東海教区の宗務所長であることの確認を求めるものであつて、その主張の要旨は、右宗務所長は宗制上所定の選挙による当選者を天台座主を任命するものであるが、控訴人は昭和三三年一〇月三日付で当時の天台座主中山玄秀より東海教区宗務所長を命ぜられたのにかゝわらず、同年一二月七日故なく右宗務所長を解くとの通告をうけ、その地位を否認せられた。そして、右座主は死亡したので後任天台座主たる被控訴人に対し控訴人が前記宗務所長たることの確認を求める、というのである。

(二)  控訴人は、被控訴人即真周湛に対し、当初は前示宗務所長解職処分の取消を求めており、右訴につき原審はこれに裁判権がないとして訴を却下したけれども、右訴は当審において前記説示のように右宗務所長たることの確認を求める訴に変更されたところ、これは訴の交換的変更であり、しかも、被控訴人は右変更に異議がなかつたので旧訴は取下げられたものと解すべく、当裁判所は右新訴につき審判すべきものである。

(三)  まづ、前任座主中山玄秀の死亡による被控訴人即真周湛に対する本訴訟手続の受継の適否についてみるに、控訴人の前記主張にしたがえば、本訴の被告たるものは、天台座主の地位にある特定の自然人、個人ではなくして、法人たる天台宗において、その役職員などを任免する権限をもつ天台座主であることが明かであつて、控訴人は中山玄秀を右天台座主たる資格において当事者として訴えたものであるから、同人が死亡しても(右死亡の事実は当事者間に争がない)、これに訴訟代理人のある間訴訟手続は中断しないが、民事訴訟法第二一〇条の準用により、後任天台座主たる被控訴人即真周湛が新しい当事者となつたものとすべきである。

(四)  ところで、被控訴人即真周湛が本訴の当事者となりうるか否かにつき争があるので、この点を考察するに、天台宗宗制(成立に争のない甲第二〇号証の一)によると、天台座主は宗制上宗教法人天台宗の代表役員ではないことは明かであるが、宗教法人法は宗教法人の事務的面のみを規制し、その宗教面については各法人の宗規による自治に委しているものと解せられ、前記宗制ならびに宗則「教区制度」(成立に争のない甲第二〇号証の二)、宗法(成立に争のない甲第二〇号証の五)によると、天台座主なるものは、宗教法人天台宗における前記宗教上の一機関と認めるのが相当である。

しかしながら、右天台座主についても、特に、これが訴訟当事者となりうべき法令もしくは宗制上の根拠がないから、先に天台宗宗議会の当事者能力について説示した同一の理由により、右天台座主もまた当事者能力を有しない。

したがつて、法人たる天台宗の一機関たる座主即真周湛を被告とする本訴は不適法として却下を免れない。

三、よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 沢栄三 木下忠良 斎藤平伍)

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